事実に反する特許権侵害鑑定書に基づく仮差押えの申立ては
権利侵害行為に該当する
台湾の民事訴訟法では、債務者が財産を処分することを防ぐため、訴訟提起前に権利者が仮差押え、仮処分、または仮の地位を定める仮処分の申立てを行うことができる保全手続が定められている。特許権者が権利侵害を受けている可能性がある事実を発見した場合には、裁判所の確定判決が出たのに当該侵害行為に対して損害賠償を求める手段がなくなることを避けるため、訴訟提起前に仮差押えの申立てを行うことができる。ただし、権利者による権利濫用を防止するため、仮差押えの申立てについては、その理由と必要性を疎明する必要があり、裁判所が適切であると認めた場合にのみ仮差押命令が発せられ、通常は担保が必要となる。
特許権侵害事件では、疎明する必要があるため、特許権者は通常、鑑定機関に鑑定書、すなわち被疑侵害製品との対比報告書の作成を依頼する。裁判所が仮差押命令を発したあと、仮差押えの状態のままになるのを防ぐため、裁判所は、債務者の申立てにより、特許権者に対し、一定の期間内にその案件について訴えを提起するよう命じることができる。しかし、訴訟の過程において、債務者は、特許無効の抗弁を主張するまたは知的財産局に対して無効審判を請求することができ、もし特許権侵害の事実がないと判断され、かつ、特許権者の仮差押えの申立が、故意または過失によって他人の財産権を侵害しようとするものである場合、債務者は、(1)民事訴訟法の規定により仮差押命令を取消した後損害賠償を請求する、(2)民法の権利侵害行為の規定により損害賠償を請求する、(3)公正取引法(中国語:「公平交易法」)の規定により損害賠償を請求するなどの手段を通じて、当該仮差押えによって生じた損害について損害賠償を請求することができる。以下に債務者の損害賠償請求に関連する事例を紹介する。
特許権者は、2005年8月17日に債務者の工場で仮差押えを行い、その後、本件の特許権侵害訴訟を提起し、2017年8月1日に最高裁判所により特許権者の敗訴が確定した。債務者は当該仮差押えに対し、本件訴訟において民事訴訟法の規定により反訴を提起したが、先に仮差押命令を取り消さなかったため、理由がないとして請求が棄却された。それとは別に、権利侵害と公正取引法の規定を理由として、2007年8月10日に特許権者に対して訴訟を提起したが、第一審裁判所は、特許権者が故意または過失によって債務者の財産権を侵害しておらず、公正取引法の関連規定にも違反していないと判断し、債務者の請求を棄却した。
債務者は、その判決を不服として控訴した。控訴審の知的財産裁判所は、特許権者の係争特許と係争実用新案、および被疑侵害製品の技術的な内容を詳細に分析した上で、特許権者が仮差押えを申立てた際の疎明の根拠となる鑑定書が虚偽の事実であると判断した。つまり、特許権者が委託した2つの鑑定機関が作成した鑑定書の内容が酷似していることに加え、鑑定報告書に記載された侵害成立の結論が、係争発明に属する技術分野における通常の知識に反しているにもかかわらず、特許権者が注意義務に違反して技術的な内容の事実を無視し、仮差押えの申立てを行ったことが故意ではないにせよ、重大な過失であると判断され、特許権の濫用に該当することから、権利侵害と公正取引法の関連規定により損害を賠償しなければならないとの判決が下された。
特許権者は控訴審判決を不服として最高裁判所に上告した。最高裁判所は、「控訴審の弁論準備手続において、特許権者が損害賠償額について調査するよう控訴審の裁判所に請求し、受命裁判官が、特許権の不当な行使が確かにあった場合には中間判決を下すと告知したにもかかわらず、控訴審裁判所が口頭弁論直後に特許権の不当な行使の事実に基づいて終局判決を下したことは、受命裁判官が当初告知した審理の計画と相違しており、それによって特許権者が損害賠償額について十分な防御ができなかったため、訴訟手続きに瑕疵がある。被害者の損害賠償請求権については、実際に損害を被ったことが成立要件となる。そのため、賠償の算定基準は、実際に被った損害額を調査した上で、その額を定めなければならない。控訴審の裁判所は詳細な調査を怠り、特許権者を敗訴とした判決は慎重さを欠いている」として、原判決を破棄し、控訴審の知的財産裁判所に差戻すとした。
知的財産権裁判所による差戻控訴審おいて、差戻控訴審裁判所は、控訴審と同じく、鑑定書の結論に誤りがあるために採用できないと判断したが、損害賠償額の算定は控訴審と異なっており、特許権者が仮差押えを申立てた根拠となる係争特許と係争実用新案を別々のものとして、被疑侵害製品のうち係争特許侵害の疑いがある2点については、鑑定書の結論は明らかに通常の知識に反するため、重大な瑕疵があり、特許権者が故意または少なくとも重大な過失によって債務者の仮差押えられた財産の所有権を侵害し、権利侵害行為に該当すると判断した。一方、被疑侵害製品のうち係争実用新案侵害の疑いがある6点については、権利者が仮差押えの根拠を疎明したため、権利侵害行為も公正取引法の規定違反も成立しないと判断した。控訴人は、本件の審理範囲は「損害賠償額の調査」であって、「被控訴人が権利を侵害した事実の有無」に及ばないと主張したが、差戻控訴審裁判所は認めなかった。
また、損害額の算定については、係争物は仮差押えから15年以上経過しており、時代の流れについていけず市場から淘汰され、すでに本来の価値がなくなっているため、係争物の「本来の価値」から「現在の残存価値」を差し引いた額が「係争物の価値の減損」となる。当事者間で合意した鑑定機関が作成した鑑定書の鑑定結果によると、電子製品の競争は熾烈であり、技術の革新も激しく、係争物に損耗がないとしても、現行仕様のコンピュータ周辺製品と併用して使用できないものとなり、そのような製品が採用される可能性もないため、鑑定評価後の残存価値はゼロであるべきであると結論付けられた。したがって、係争物の本来の価値が、即ち仮差押えにより控訴人が係争物を自由に処分できなかったことにより被った損害額となる。そして、被疑侵害製品の8点のうち、2点のみが被控訴人の損害賠償責任の範囲に含まれると認定されたため、控訴人が損害賠償を請求できる部分は当該本来の価値の四分一となった。
もう1つ注目に値する点は、控訴審判決の言渡期日から差戻控訴審判決の言渡期日まで約4年半の開きがあり、その間に法人の権利侵害責任について最高裁判所大法廷の見解が変化したことである。従来は、法人は法律で擬制された人格であり、あらゆる事務はその代表者または被雇用者の権限行使または職務遂行に依存せざるを得ないため、権利侵害行為に基づく損害賠償責任の成立は、その代表者または被雇用者が職務を遂行する上で第三者の権利を不法に侵害した場合に限り、その法人と行為者が連帯して損害賠償責任を負うというのが過去の実務上安定した見解であり、控訴審判決にも反映されていた。しかし、学説には、法人とその代表者の連帯責任について、法人が組織自体の意思と行為のためにその組織の構成員の意思と活動を統一することができ、また、現代社会においては法人の組織が複雑化し、細かく分業化されているため、多くの場合、特定の侵害の結果は、特定の自然人の単独行為によって引き起こされるのではないといった異なる見解がある。法人の権利侵害行為が、その代表者や被雇用者の権利侵害行為によってのみ成立するとすれば、代表者や被雇用者が重い対外的責任を負わされるだけでなく、被害者が損害賠償を請求する際にも、加害者や行為内容を特定して立証する必要が出てくる。したがって、最新の見解では法人が権利侵害行為の主体になり得ることを肯定しており、最高裁判所とこの事件の差戻控訴審裁判所も採用している。これにより、今後、特許権者が特許権侵害を主張する、または相手方が特許権者の不当な特許権行使を主張する場合、両者の立証責任が、従来よりも軽減されることになる。
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